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| ●…6000種もの《СССР》の切手を残して 1991年の暮に、クレムリンに掲げられていた赤いソ連の国旗が静かに降ろされ、代わってロシア連邦の白・青・赤の三色旗が揚がるのを、さまざまな感慨にひたりながら、じっとテレビで見入ったものでした。 地上に“天国”を築こうとして、人類の希望とともにはじめられた70年に近い社会主義の壮大な実験でしたが、成功をみずに、ここに静かに幕を降ろしたのでした。その結果、ソ連邦を構成していた15の共和国は、それぞれ主権国家として独立し、ロシア連邦もその一つに過ぎなくなりました。しかし、フィラテリストのアルバムに残された《СССР》の国名の入った6000種以上の切手は、このソビエト社会主義共和国連邦の実験を、さまざまな教訓を込めながら、これからも語りかけてくれることでしょう。 ●…広大な国土と複雑な民族 ソ連邦の構成共和国の一つであったロシアは、今もヨーロッパとアジアにまたがる1700万平方㌔㍍の国土をもつ大国です。世界第2位のカナダよりも、なお700万平方㌔㍍以上も広い面積を占めています。この広大な国土のかなりの部分は、カナダと同様、森林とツンドラが続き、冬は雪や氷に閉ざされますが、豊かな天然資源には恵まれています。そのうえ、例えば切手でも紹介されたカムチャッカ半島のように、美しい火山や温泉など、ほとんど手つかずのまま残された自然も多く、観光開発が待たれるところも少なくありません。 ロシアの大地に住む人たちの8割以上はスラブ系のロシア人ですが、そのほかに100以上の少数民族がおり、中にはトナカイの遊牧や漁業など、伝統的な生活様式を営む人たちもみられます。 |
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| ●…もう一つのヨーロッパ文化 ソ連時代には、さまざまな規制や、時には激しい弾圧を受けた宗教も、現在では急速に復興してきました。ロシアの人たちの持つ伝統的な文化は、ギリシャ正教に根ざしています。これは、カトリックやプロテスタントと並ぶキリスト教の一つで、かつてビザンチンとも呼ばれたコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)を中心に、東ローマで発達したものです。コンスタンチノープルがトルコ軍の手に落ちた後、その法灯はロシアの地で護られ、革命前はロシア皇帝がその最大のスポンサーでした。 近代化の過程で、カトリックやプロテスタントなど、西ヨーロッパの文化になじんだ日本人には、ギリシャ正教(東方正教)の世界は、かなり異質に感じられるかもしれません。しかし、東京の御茶ノ水にあるニコライ堂や函館のハリストス教会などは、このギリシャ正教のもの。日本にも、その熱心な信者がいるのです。ちなみに、ハリストスとはギリシャ語でキリストのこと。クリスマスを《X mas》などと書きますが、この《X》は《Χριστο 》、ギリシャ文字で記したキリストの頭文字なのです。 キリル文字とも呼ばれるロシア文字が、実はギリシャ文字に由来するのもうなずけるでしょう。ギリシャ正教では、カトリックにみられるような遠近法を取り入れた、例えばラファエルの「聖母子像」のようなリアルな聖画はみられません。その代わりに《イコン》と呼ばれる独特な聖像が、一般の家庭でも祀られています。バルカン半島の正教の国々では、以前から《イコン》は切手でもたびたび紹介されていましたが、ようやくロシア切手でも、その本格的なものが見られるようになりました。 帝政時代のロシアは、世界的な文学者や画家、音楽家など、多数のすぐれた芸術家を生みました。ロシアの大地の香りと、心なしか東洋的な温かさが感じられるそれらの作品には、日本にもたくさんのファンがいます。ソ連時代の切手でも紹介されたので、ファンのアルバムには、きっと芸術家たちの肖像や作品を描いた切手が収められていることでしょう。 ●…ロシア切手の変遷 ロシアの一番切手が発行されたのは、帝政時代の1857年。“双頭の鷲と冠”の国章を描いたもので、同様の図案はその後ながく続きました。 歴代の皇帝の肖像が初めて切手に登場したのは帝政末期の1913年のこと。この中には、ロシアの近代化を進めたピョートル大帝や、江戸時代に海難事故でロシアに漂着した大黒屋光太夫が謁見の栄を賜ったエカテリーナ女帝なども見られます。ここには勿論、皇太子時代に日本を訪れ大津事件で傷を受けたニコライⅡ世も、最後の皇帝として登場しています。 帝政末期の混乱期にあったロシア政府は、物資の欠乏に悩み、硬貨の供給も十分にできなかったため、切手をやや厚手の紙に印刷し、コインの代用として流通させたこともありました。 亡命先のスイスからロシアに戻ったレーニンが、社会主義の革命政権を樹立したのは1917年。その正刷切手は翌1918年に発行されました。槌と鎌の紋章とともに、《РСФСР》の国名表示が見られますが、これは“ロシア労農国家”などと訳されています。 連合軍の干渉戦争時代には多くの地方切手や軍事切手が発行されましたが、1922年には正式にソ連邦が発足し、翌年から国名表示はおなじみの《СССР》に変わります。切手には繰返し革命の指導者レーニンが登場し、とくに1930年代に入ると、切手は政治宣伝の重要なメディアになります。 やがて、ナチス・ドイツの侵入がはじまると、祖国防衛のための戦意高揚の切手が次々と発行されました。 第二次世界大戦後も、社会主義の成果を示す切手が大量に発行されますが、内外の政治家や軍人、芸術家など、人物切手の多いのがソ連切手の一つの特色になります。 60年代以後は、政治色はやや後退し、エルミタージュ美術館などの収蔵作品や、各地の珍しい動植物、風景などを紹介するものが目立つようになりました。 1992年からの新たなロシア連邦の切手では、ギリシャ正教にちなむ聖像や聖堂など、これまで忘れられていた文化財の紹介が目につきはじめました。また、キリル文字と共に、ローマ文字による《ROSSIJA》の国名表示が入ったのも一つの特色です。 |
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| 普通切手/城塞(セルフ糊)12種シート/ロシア |
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2009年10月1日発行。 ロシアのクレムリン(城塞)を描く12種の変形切手を収める。 アストラハン(カスピ海北岸にあったトルコ系のアストラ・ハン国を16世紀半ばにイワン雷帝が征服して建造)、ザライスク(500年前にクリミアやタタール人の侵攻からモスクワを守るために石灰岩とレンガで建造された要塞)、カザン(世界遺産:タタール文化の中心で11世紀初頭ヴォルガ・ブルガール人によって建設され、イワン雷帝の侵攻によって破壊された城塞跡に再び築かれた)、コロムナ、ロストフ、ニジニ・ノヴゴロド(13世紀、東部の商工業都市に築かれた木造の要塞)、ノヴゴロド(世界遺産:ロシア最古の都市、大ノヴゴロドに築かれた13基の塔を持つ城塞)、プスコフ、モスクワ・クレムリン宮殿(世界遺産:旧ロシア帝国宮殿)、リャザン、トボリスク、トゥーラ。 |
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| 国めぐりこぼれ話 |
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| ■北方領土の切手 戦争や革命など、大規模な政変の際には、郵政も混乱し、多様な地方的な切手が現れることが少なくない。一九九一年のソ連の崩壊に際しても、おびただしいローカル切手が発行された。これらは都市やその他の自治体名を、ソ連の普通切手に加刷したものが大部分である。 その際、わが〝北方領土〟でも切手が発行されたらしいのである。当時のソ連の普通切手に、北方領土の地図を加刷した連刷切手である。まだ実逓のカバーを見ていないし、この地の郵便局での発売のいきさつも明らかではない。 近年、当時の郵政の状況が、ロシア全土にわたって研究されているが、先ずは、この切手の真贋を知りたいところである。 |
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| ※このコーナーは「続・世界国めぐり」(2004年刊行)から引用しています。 内容が現在と異なる場合があります。 |
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