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ウズベキスタン ─世界切手国めぐり─
2010.03.05
甦ったシルクロードの国 ウズベキスタン


●…シルクロードを結んで

 ソ連の崩壊と共に、これまで秘密のベールに被われていた中央アジアの国々が、一挙に国際舞台に登場してきました。主にトルコ系の人々から成る人口2300万のウズベキスタンもその一つ。ソ連時代には、“ウズベク共和国”として、かたちのうえではソ連を構成する共和国の一つでしたが、実質的にはモスクワに支配された植民地のようなものでした。

 伝統的な“南下政策”の一貫として、ロシア帝国は19世紀になると中央アジアへの遠征に乗り出し、ウズベキスタンの地にあったボハラ汗国やヒヴァ汗国を支配下に収めます。いずれも、かつてジンギスカンの時代に、蒙古帝国の領土になったところでしたが、やがて帝国は一族や家臣らの支配する多くの小国に分裂していきます。ボハラ汗国もその一つでした。そこには、きっと世界史で学ばれた、フェルガナ、コーカンド、サマルカンド、タシケントなどの都市が連なっています。

 これらはいずれもシルクロードの町として、かつては中国から絹などをフタコブラクダの背に積んだ隊商たちの行き交うところとしてにぎわっていました。その後、多くの戦乱や砂塵、そして大地震に耐えて、生き続けてきたものです。今でも街の一部に昔の面影を残すところも少なくありませんが、郊外には工業地帯もみられるなど、近代都市として発展しています。ウズベキスタンの首都タシケントには、地下鉄があると聞いて驚かれる方も多いでしょう。

●…綿花栽培で死んだアラル海

 ウズベキスタンの南部には、緑豊かなフェルガナの盆地がありますが、中部から北部にかけては、広大な砂漠が広がっています。

ウズベキスタン共和国
Republic of Uzbekistan

面積:44万7400平方平方平方㌔㍍ 
人口:2291万人('96年)
首都:タシケント(209万4000人)

国  旗
住民:ウズベク人71.4%、ロシア人8.3%、タジク人4.7%、カザフ人4.1%他。
言語:公用語はトルコ系のウズベク語。
宗教:イスラム教スンニ派、ロシア正教。
資源:石油、石炭、天然ガス、金。
通貨:スム
地図
 この砂漠を貫いて、隣のトルクメニスタンとの国境を北西に流れるのがアムダーリア川。東隣のカザフスタンを流れるシルダーリア川と共に、アラル海に注いでいます。アラル海はカスピ海などと同様、遠い地質時代、まだ地中海がユーラシア大陸の奥深くまで広がっていた時代の名残りで、その名のごとく海水をたたえています。

 この二つの川の上流部に、河川の水を縦横に引いた大規模な農業開発計画が完成したのは、第二次世界大戦後のことでした。こうして、ウズベキスタンには、一大綿花地帯が生まれ、綿花を原料として繊維工場も次々と建設されました。今やソ連は、ほとんど綿花の自給ができるようになったのです。ソ連政府は、高らかに“社会主義の勝利”をうたい、切手も発行されました。

 しかし、これは余りにも自然地理学の理法を無視した無謀なプロジェクトでした。アラル海は、いわば砂漠の中の湖。常に照りつける太陽によって、海面からは激しい蒸発が行なわれていますが、流れ込む二つの大河のもたらす大量の淡水によって、海水の塩分はほぼ一定していたのです。そのため、魚類も多く、沿岸にはいくつもの豊かな漁村ができていました。

 綿花の灌漑用に河水をとられた二つの川は流れが細り、アラル海に注ぐ淡水も激減したため、海水の塩分は急速に高まり、ついに魚も住まない死の海と化したのでした。

 そればかりか、アラル海は次第に干上がりはじめ、まるで引き潮のように沿岸のかつての海底が、陸地になっていきました。しかも、そこには塩の結晶が堆積しています。砂漠につきものの砂嵐がやってくると、塩の結晶は砂粒とともに飛散し、遠くの農地や牧草地にまで、深刻な塩害をもたらすようになりました。

 ウズベキスタン政府は、こうしたアラル海を何とかして甦らせたいと考え、各国に協力を呼びかけています。その呼びかけに応じた日本の研究者も、かの地でこの地球環境を護る国際的なプロジェクトに参加しています。

●…再び流れはじめたコーラン

 中央アジアの国々は、いずれもイスラム教が盛んです。ウズベキスタンの一番切手は1992年ですが、すでに数種の著名なイスラム寺院を紹介しています。抜けるような青空に浮かぶ青いドームのあるモスクは、大変印象的です。

 しかし、宗教が目の敵にされていたソ連時代には、イスラム教もさまざまな弾圧を受けます。人々は密かに日々の祈りを続けていたのでした。もっとも、ソ連時代も末期になると、外貨獲得のためもあって、ウズベキスタンをはじめ、中央アジアでも外国の観光客を受け入れはじめます。それと共に、宗教に対する規制も少しずつ緩和されていきましたが、独立後は信仰に関する規制がすべてなくなり、人々は誰はばかることもなく、宗教活動ができるようになりました。新しいモスクも次々と建設され、街には再び荘厳なコーランが流れています。

●…切手の特色

 ソ連時代にも、“ウズベク共和国”の風景や産業などを描いたソ連切手は何枚も発行されていました。

 しかし、独立後は、何よりもイスラム教を基礎とした伝統文化や民族の英雄などを紹介するものが中心です。まだ独立後、日が浅いこともあって、独自の様式を生み出すまでに至っていないようです。
タシケント市2200年8種シート/ウズベキスタン
タシケント市2200年8種シート/ウズベキスタン
2009年8月17日発行。

シルクロードのオアシス都市タシケント。
国会議事堂、議員会館、国際ビジネス地区、歴史博物館、トリキスタンパレス、15-16世紀のメドレセ(神学校)、圧政犠牲者記念博物館(2002年開館)、シルクロードの地図。
この国の切手はこちら

国めぐりこぼれ話

■ユーラシアのトルコ系の国々と切手

 ウズベキスタンは人口の8割近くがトルコ系であるが、ユーラシア大陸には、シベリア東部から西南アジアにかけて、トルコ系の人々が多く居住している。

 ソ連時代にはヤクート自治共和国と呼ばれ、今ではダイヤモンドと金鉱山で知られる東シベリアの「サハ共和国」もその一つ。ここは広大ではあるが、今もロシア連邦の一部であり、主権国家ではない。しかし、ソ連の崩壊時には、ソ連切手に国名を加刷した切手が発行された。

 さらに、モンゴルの北にあるツーバ共和国も同様で、かつてツビンスカヤ自治共和国であったが、一九九四年には、ロシア連邦内の共和国であることは表示しながらも、正刷切手を発行している。
 ただし、いずれも真贋の程は明らかではない。

※このコーナーは「続・世界国めぐり」(2004年刊行)から引用しています。 
  内容が現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている本はこちら です

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