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セルビア ─世界切手国めぐり─
2009.10.03
再出発したバルカンの多民族国家 セルビア・モンテネグロ

●…新たな国名のもとに
 《セルビア・モンテネグロ》は、いわゆる《新ユーゴスラヴィア》の新しい国名です。
 旧ユーゴスラヴィアの崩壊後、この二つの共和国は新たな連邦を構成し、相変らず正式国名を 《ユーゴスラヴィア連邦共和国》としてきました。もっとも日本では《新》と《旧》で区別しています。
 それにしても、人口1000万のセルビアと60万のモンテネグロが対等の立場で連邦を構成していくのは難しく、 次第に利害の対立が強まりました。そのため、 2003年に双方の自治権を大幅に強化したゆるやかな連邦に移行。 国名も両共和国の名称そのままに《セルビア・モンテネグロ》に改めました。

●…人工国家の悲劇
 第一次世界大戦後、敗戦国となったハプスブルク家の多民族国家《オーストリア・ハンガリー複合王国》は、 民族自決主義に基づいて解体されます。そのうち、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの3地方と、 セルビアおよびモンテネグロの両王国を併せて構成された人工国家が《ユーゴスラヴィア王国》でした。 “南スラブ族の国”を意味しますが、長い歴史の中でそれぞれの地域の文化は相互に大きく隔たり、 一つの民族国家を構成するのは初めから無理がありました。
 実際、第二次世界大戦中には、ナチス・ドイツの後盾もあって、クロアチアは独立し、王国は解体します。 大戦後は、ナチス・ドイツ軍を独力で排除したパルチザンの指導者チトーの独自のイデオロギーによる強力な指導力によって再統一し、 分裂傾向は押え込まれていました。

 しかし、何分にも《6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字》をもつ国なので、 《1つの国家》を維持するのは容易ではありません。チトーが死去し、東西冷戦が終結すると、各共和国は次第に連邦からの分離傾向を強めます。 これを武力によって引き止めようとするセルビアを中心とした連邦軍と、各共和国軍との間に激しい内戦が生じます。互いに多くの犠牲を払いながら、 1992年には、ほぼ現在の状態になりました。
セルビア・モンテネグロ
Serbia and Montenegro
面積:10万2173k㎡
首都:ベオグラード
(160万人)

国  旗
住民:セルビアはセルビア人65.8%、アルバニア系17.2%。モンテネグロはモンテネグロ人68%、アルバニア系6.4%ほか。

人口:1062万人(98年)
言語:公用語はセルビア語と憲法で規定。アルバニア語など少数民族言語も公用語としての使用を承認。
宗教:セルビア正教、イスラム教、カトリック。
資源:ボーキサイト、亜鉛、ウラン。
通貨:新ディナール
地図

●…セルビアとモンテネグロ
 《旧ユーゴスラヴィア》時代からの首都ベオグラードをもつセルビアは、1878年に正式に王国としてオスマン・トルコから独立し、同じスラブ族の大国ロシアに最も親しみを抱く国として知られています。そのため、バルカンの盟主をもって自ら任じ、親西欧のクロアチアなどと張合ってきました。一番切手はすでに1866年に発行しています。
 一方、モンテネグロの正式名称は《チュルナゴーラ》。“黒い山”を意味します。大変勇敢な人たちが多く、かつてオスマン・トルコの支配に抗して立ちあがり、独立を勝ちとった誇り高い国です。小国ながら、その山がちな国土の自然に守られて、バルカンでは最も早く、すでに18世紀の初頭には独立した王国となっていました。1874年に一番切手を発行しています。
●…コソボの行方
 セルビア共和国南部のコソボ自治州は、北部のボイボディナ自治州とともに非スラブ系民族が多く居住する地域。民族問題の“火種”を抱えています。とくにアルバニア系住民の多いコソボは“火種”どころか民族問題が爆発してしまったと言えそうです。
 古くからこの地へ移住していたアルバニア人は、民族主義の高まりの中で、単なる自治だけに満足せず、この地域の独立か、或いはアルバニアへの併合を要求するようになります。これに対し、新ユーゴ政府は徹底した弾圧政策で臨み、ついには州の自治権を剥奪してしまいます。人々は武装集団を組織し、セルビア系のユーゴ政府軍にゲリラ戦を挑みました。
 一方、政府軍はセルビア系住民と一緒にアルバニア系住民に対して暴力行為を繰り返したため、彼等は難民となって近隣諸国へ逃げ込みます。国際世論も新ユーゴ政府を非難し、政府軍のコソボからの撤退を迫りますが迫害がやまないために、NATO軍はユーゴ各地の軍事拠点を爆撃します。その結果、ようやく政府軍の撤退が実現しましたが、 今度は逆に残留しているセルビア系住民に対するアルバニア系住民の報復テロが続くことになります。国連の平和維持部隊の駐留で紛争は一応収まりましたが、民族問題の解決は容易ではありません。
●…切手の変遷
 旧ユーゴスラヴィアの崩壊後、新ユーゴスラヴィアが、先の二つの共和国によって形成されたのは1992年4月27日のこと。しかし、この新国家の門出は、少くともセルビアにとっては淋しく、むしろ屈辱的なものだったのかも知れません。もちろん記念切手の発行もありませんでした。その後の切手も旧ユーゴ時代の様式がそのまま続いています。
 '03年に《セルビア・モンテネグロ》に国名が改められましたが、以前と同様、ローマ文字とキリル(ロシア)文字で表記されています。前者は《SRBIJA I CRNA GORA》、後者は《СРБ-ИJА И ЧРНА ГОРА》です。しかし、なぜか一枚の切手に両者が併記されることはないようです。
クラシック音楽の巨匠8種シート/セルビア
クラシック音楽の巨匠 8種シート/セルビア
19-20世紀の音楽家。

コルネリエ・スタンコビッチ(1831-65)、
ヨシフ・マリンコビッチ(1851-1931)、
ペタル・コニョビッチ(1883-1970)、
ステワン・フリスティッチ(1885-1958)、
ミホビル・ロガル(1884-1946)、
リュビツァ・マーリッチ(1909-2003)、
ワシリイェ・モクラーニュアッツ(1923-84)。

中央のタブに楽譜と「セルビアクラシック音楽界の偉人たち」。
この国の切手はこちら

■国めくりこぼれ話
セルビア切手のミステリー
 切手には一般に明るいイメージがある。とくに最近のものはカラフルで、ときに漫画なども登場するので、怪談話はふさわしくないかもしれない。

 しかし、セルビア切手には有名なミステリーがある。一九〇四年に発行された「カラゲオルゲヴッチ王朝百年と、ペテル国王即位」を記念した切手がそれである。 一九九九年版の『スコットカタログ』の表紙に登場したブルーの25パラの切手もその一種であった。
セルビアのミステリー切手(白黒)
セルビアのミステリー切手(白黒)を逆さにしてみると この切手を逆さにして、 メダルのあたりをじっと見つめていただきたい。二人のプロフィールの間に、気味の悪い顔が浮かんでくるのに気づかれただろうか。

暗殺された前国王アレキサンドルの亡霊だと言うのである。世界中の郵趣界でかつて大変有名になった切手なので、 ニセモノが多いらしい。亡霊切手の亡霊には、くれぐれも気をつけられるように!
セルビアのミステリー切手(白黒)逆さにすると、顔がうかんでくる!
切手を逆さにしてみると もうひとつの顔が・・・

※このコーナーは「続・世界国めぐり」(2004年刊行)から引用しています。 
  内容が現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている本はこちら です

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