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●…チェコから分かれ、独自の道をベルリンの壁が崩れ、東ヨーロッパの民主化がはじまると、それまでのイデオロギーのタガが一気にはずれ、民族国家が次々と誕生しました。 これまでチェコスロバキアの東部を占めてきたスロバキアもその一つ。1993年にチェコとの連邦を解消して主権国家となり、独自の通貨や切手を発行しています。 「チェコスロバキア」の国名がいささか長いので、しばしばこの国を「チェコ」と呼んでいましたが、このことが暗示しているように、経済発展のおくれたスロバキアは、分離独立前には、とかく“第二ヴァイオリン”を受け持たされがちでした。 チェコもスロバキアも、かつては共にハプスブルグ家の「オーストリア・ハンガリー複合王国」に属し、民族独立の機会をねらっていました。第一次世界大戦でドイツが敗れると、ドイツと共に戦っていたハプスブルグ家の支配も一気に崩れ、1918年には連合国の肝煎りで、ボヘミアを中心とするチェコスロバキアが誕生しました。 同じハプスブルグ家の支配下にありながら、チェコがオーストリアに属し、ドイツ文化を吸収していたのに対し、スロバキアはマジャール族のハンガリーの一部でした。とくにチェコの中心でもあるボヘミアは、オーストリアの工業地帯。かたやスロバキアはタトラ山地に抱かれた牧歌的な後進地域。一つの国家となっても、こうした経済格差は一向に解消しません。 チェコを流れるブルタバ(モルダウ)川が西に流れるのに対し、スロバキアを流れるモラバ川が東に流れるように、同じ西スラブ族ではあっても、言語などに相違がみられ、気質などでも次第に違いが拡がっていきました。 |
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| ●…ナチス時代と戦後のスロバキア第二次世界大戦の前夜、ヒトラーは、チェコのズデーテン地方にドイツ人が多く居住していることを口実に、強引に併合し、続いてチェコ全域を支配下におさめます。スロバキアはこの時、ドイツの「保護国」として「独立」し、はじめて独自の切手が発行されました。しかし、戦後は再びチェコと統合し、チェコスロバキアが復活しますが、ルテニアと呼ばれる東部の小地域はソ連に併合されてしまいした。 第二次大戦後のチェコスロバキアには、苦難の道が待っていました。政治的、経済的な混乱の中で、共産党のクーデターによって、力ずくでソ連圏に引き込まれたからです。 《コメコン》と呼ばれるソ連圏の分業体制の中で経済の自由が奪われたため、経済発展が阻まれましたが、とくにスロバキアは後進地域のままとどまることになります。 1968年、チェコの首都プラハで、自由と民主化をめざす新しい改革運動がはじまりました。いわゆる《プラハの春》です。しかし、これはまだ時期が早すぎました。突如国境を突破したおびただしいソ連軍を中心としたワルシャワ条約機構軍の戦車がプラハをめざして侵入、全土が占領され、せっかくの改革の芽は無惨にも踏みにじられてしまいました。 民主化のための改革案はすべて葬り去られましたが、唯一、スロバキアの人々の要求していた「連邦化案」だけは認められ、早速、翌年の1月から実現しました。これによって、少なくともかたちの上ではチェコとスロバキアは対等の立場で連邦国家を構成することになったのです。スロバキア語もチェコ語と共に公用語になりました。 ●…切手の変遷 スロバキアの一番切手は、ナチスドイツの後ろ楯で「独立」した1939年。チェコスロバキアの切手に「スロバキア国」を意味する《Slovensky stat 1939》と、新国名を加刷したものでした。その後すぐに、現在と同じ《SLOVENSKO》の国名表示の入った正刷切手が発行されます。 ナチスドイツの勢力下の1945年までに200種以上の切手が発行されました。これらの切手には、不思議と好戦的なテーマのものはほとんど無く、歴史的な事象や風景など、牧歌的と言えるものも少なくありません。 なお、これらの切手は、『スコットカタログ』では、93年の分離独立まで、チェコスロバキア切手の後ろに、地方切手として分類されていましたが、現在ではスロバキアの切手として独立後の切手と統合され、「保護国」時代のものも、本来の独立国の扱いがなされています。 連邦化が実現した1969年以後は、チェコとスロバキアは少なくとも法的には対等の立場になりましたが、このことは切手の世界にも反映しています。毎年発行される凹版印刷の美しい美術切手では、プラハ城の所蔵する文化財と共に、スロバキアの首都ブラチスラバの古城にある美術品も確実に紹介されるようになりました。 独立後はまだ日が浅いこともあって、発行される新切手には独自のカラーはあまり見当たりません。むしろ、チェコスロバキア時代の様式がほとんどそのまま踏襲されていると言えましょう。しかし、スロバキアの人たちにとって《SLOVENSKO》の国名が表示された切手は、こよなく愛おしいものに感じられるに違いありません。 |
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| ヨーロッパの言語ナショナリズム 現在のヨーロッパにはもはや植民地などあり得ない、と考える向きがあるかも知れない。もっとも、スペインにある英領ジブラルタルや、英国が統治に手を焼いている北アイルランドなどは、まだ英国の植民地と言えないこともない。 しかし、それよりはるかに大きな「植民地」が実はスペインやフランスの国内に存在する。これらの国々には古くから独自の習俗や言語をもった多くの少数民族が居住しており、彼らは現在、自治権や、ときに独立を求めて過激な行動に走る場合も少なくない。すでにスペインでは、民主化と共に、バスク族などに大幅な自治権が認められている。 これらの少数民族は、近代国家の成立後、数百年にわたってそれぞれの国の中で、自分たちの習慣や言語さえもおしかくしながら暮らしてきた。しかしながら、第二次大戦後、アジアやアフリカで燃えさかったナショナリズムと民族独立の波は、やがてヨーロッパに逆上陸し、こうした国々の少数民族は自らの言語や文化に目覚めたのである。これを一般に言語ナショナリズムと呼んでいる。ソ連の崩壊も、諸民族のナショナリズムが一因であった。 スロバキアでは、ナチスドイツの後ろ楯で「独立」した時、早くもスロバキア語のキャンペーン切手が発行されている。 スロバキアの「独立」は、当時一般にはドイツのチェコ侵略の正統化、あるいは少数民族の懐柔策と考えられていた。しかし、今にして思えば、ナチスドイツにも「三分の理」が感じられそうである。ユーゴスラビアの解体などと同様、戦勝国の列強による第一次大戦後の、少数民族の文化や彼らの願いを無視したヨーロッパの設計図の誤りが、ようやく20世紀の末になって、修正されはじめたのかもしれない。 |
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| ユーロ額面一番切手6面シート | ||||||||
| 2009年1月1日スロバキアがユーロ加盟(単一通貨ユーロ導入)。 地図とユーロ紙幣の中央にユーロマーク図案の切手1種6枚を収める。 凹版+平版。6面シートの中央に金色の箔押しで3種のユーロ貨幣(デザインはタトラ山の主峰クリバーン、国章、ブラチスラバ城。 ※凹版切手全般頒布会で単片1枚のみを7月以降頒布予定。 |
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| ※このコーナーは「続・世界国めぐり」(2004年刊行)から引用しています。 内容が現在と異なる場合があります。 |
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| この記事が掲載されている本はこちら です | ||||||||